戦時下で行われた、愛とユーモアにあふれた文通。異国への純粋な想いが紡いだ美しい物語。

※内容に触れる箇所があります

原作は、ヘレーン・ハンフの同名書簡集。

実在の人物たちを描いた心あたたまる名作です。

ヘレーンは売れない脚本家です。テレビドラマの脚本を書いて、あまり裕福でない生活を、一人暮らしの古いアパートで送っています。

彼女の趣味は珍しい古書集め。それも詩とか、聖書とか、専門書とか。

フィクション嫌いを公言しているところが、彼女らしさの好感ポイントの一つですが、この趣味の古書集めによって、新聞広告を介し、遠い異国の地イギリスで古書店を営む男性と知り合います。

船便で届いた本には丁寧な手紙が添えられており、そこから、筆達者なヘレーンと男性との、二十年以上にわたる文通が始まるのです。

主人公ヘレーンを演じた、アン・バンクロフトははまり役だと思います。

彼女を初めて知ったのがこの映画でしたから、すりこみもあったのかもしれませんが。それでも、この愛らしいキャラクターを演じたアンには、こうした愛嬌のある役柄が似合っているのだと思えます。

何より、原作者のヘレーンの人物像を、寸分たがわず表現してくれているように思えて、嬉しくなりました。それほど関係者への愛が深い作品だったようにも感じます。

文通相手の古書店店主フランクには、名優アンソニー・ホプキンスが配役されています。僕の好きな女優、ジュディ・デンチが奥さん役です。

むろんレクター博士の印象など欠片もありません。真面目で、ユーモアが好きで、頭の中にこそ古書店が開いているかのような、豊富な知識を持った優しい男性を演じています。

タイトルの、「チャリングクロス街84番地」にある実在する古書店で、アメリカ・ニューヨークに住むヘレーンからの注文を、誠意をもって受け取ります。

冒頭から好きなシーンが流れます。

朝の忙しい時間、へレーンはダイヤル式の電話を忙しなく終え、吸いかけの煙草を惜しそうに灰皿へ押し付け、ちゃんと消えたか何度か確認すると、木製の階段をゴトゴト下りて、ふと玄関先の小さなテーブルに雑然と置かれた郵便物に目を留めます。待ち侘びていた古書がとうとう届いたのです。

遅刻する時間なのに、思わず自分の部屋に駆け戻り、包みをはがして小さな書籍に魅入るヘレーンが、とても可愛らしいです。

冒頭のシーンをはじめ、とにかく、この映画を好きになった理由を羅列すると、五十年以上前の彼らの生活様式、文通というやりとり、ドルとポンドの変換作業、レモン入りのお酒を傾けながらタイプライターを使った執筆作業、ヘレーンの愛煙家ぶり、売れない脚本家という立場、ニューヨークの古いアパート、気の好い住民、想像しがたい乾燥卵、愛らしいヘレーンの人生観などがあがりますが、これらが物語の結末以上に、視聴者を楽しませてくれる要素になっています。

フランクと奥さんノーラの品のある食事のシーンも好きです。ナイフとフォークを丁寧に入れてお肉を切り、フランクは慎重なようすで料理の出来をもぐもぐ味わうと「グッテイスト」と一言、奥さんを褒めます。

特別喜んでいるように見えないノーラの表情と、それが紳士のあり方だと思っているのか、はたまた本心なのかよく分からないフランクの咀嚼風景こそ、絶妙な味があってたまりません。

この映画を借りたのは、今から15年近く前。

何を観ようか、長々と店内を物色していたレンタル店の棚の隅っこで、ふと目につき、タイトルに惹かれて借りました。

いざ鑑賞すると、一度見ただけでは、なんだか筋が分からず、もう一度観て、さらに二回観ました。一週間で四回観た映画はこれが初めてでした。

古書代金、平均して一ドルとか、二ドルとかなんですが、彼女がそれを欲しがると、とても価値の高いものに思えます。

実際、原作の中でも出てきた、いくつかの書籍を読んだりもしました。

「ピープスの日記」とか、「釣魚大全」とか。

なるほど、ヘレーンはこうした内容を、もしかしたらこんな視点で楽しんでいたのか、と空想が出来て、内容うんぬんより、そちらのほうで楽しんだりしました。

当時の貨幣価値は知りませんが、時に脚本が売れ喜ぶも、ヘレーンの生活がどれほど楽になったかは詳しく知り得ません。イギリスへの渡航費をためていたのに、引っ越し費用に使わなければならなくなったりと、どうにもままなりません。

二十年にわたる文通の間、二人は一度も顔を合わせていないのです。

ヘレーンのユーモアや毒っ気のある手紙が届くのを、古書店の店員たちや、フランクの奥さんまでもが、楽しみにしはじめます。

顔も見たことのない人たちに、次第に好かれてきたヘレーン。

戦時下で食料供給も不十分な彼らに、たびたび食料品や衣料品を送り、勇気づけたり喜ばせたりします。こうしたやりとりが実際に起きていたのだと思うと、とても心が豊かになります。

その中で乾燥卵という単語がいくらか出てきます。

初めて聞いた食品名だったので、個人的には非常に気に入りました。

この乾燥卵も喜ばれるのですが、やはり生卵のほうが美味しいらしく、そこら辺の要望や遠慮が、互いに気遣い合いながらされるところも、現実感があって楽しめます。

中盤、ヘレーンの友人の舞台女優が、イギリス公演の時に、古書店を訪れます。

正体は明かさず雰囲気を味わい、いたずらするように、店員の男性とからみますが、これほど楽しい役回りもないでしょう。

二度目にはサプライズも仕掛けます。

ヘレーンとフランクとの文通だけでなく、いつのまにか、店員や家族も入り交じり、温かな文通交友が広まります。

厳しい生活状況が背景にある筈なのに、この映画は終始あたたかく、ずっと暖炉の前で寝転んでいるような気分で鑑賞できるところが魅力の作品だと思います。

時の流れは、どんな状況も変えてしまうもの。

ヘレーンとフランクたちの人生もまた、同じように変わっていきます。

それでも、この映画や原作の魅力が、色褪せることなく、何十年経ってもこうして語り継がれる理由が、最後まで観終わったあとに、ぬくぬくとした余韻となって胸に残り続けてくれます。

古書というキーワードで結ばれた人たちの、確かな人生の記録。

書簡集を発表したヘレーンの人柄に触れた人たちの、熱烈な「おもてなし」が、彼女の物語を最後、華やかに彩ってくれます。

魅力的な人物やアイテムで創り上げられた、愛にあふれた物語のあらすじに、一夜だけでも寄り添ってみるのもいいかもしれません。

書物を愛する人のために生まれた、心あたたまる映画です。

ぜひ、寒い時期にこそ、ご鑑賞ください。

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