いいちこのCМで流れる、ビリー・バンバンの名曲が名曲である理由。

いいちこのCМで、聴き馴染んでいる方も多いのではないでしょうか。

僕もあのCМで「また君に恋してる」を聴いてから、とても好きになりました。

どの曲も、お二人の柔らかな歌声が似合う、素晴らしい世界観を感じさせてくれます。

優しく落ち着いていて、芯があり、低音の深みも高音や裏声の伸びやかさも、思わず目を閉じて聴きたくなるようなニュアンスに満ちているように思いますが、あのCMの映像と絶妙に合っていることが、言いようのない魅力になっているように思います。

映像とこの曲調の、一体何がどう作用して、ここまで惹きつけてくれるのでしょうか。

多くの映像がスローモーションで流れるのですけれど、その時間の流れ方と曲のテンポは確かに合っていますし、出演者の台詞はないため、印象としては静かです。

しかし、本来であれば激しく運動している内容や、外国の方々の起用で、どうしても合致しない点が生まれるはずなのに、何故か懐かしく、美しいくらいに切なさが溢れ出すのですから不思議です。

そんなCMで流れたものの中から、今回は以下の五曲について話したいと思います。

また君に恋してる

坂本冬美さんもカバーして、大変人気になった一曲です。

朝露という言葉から始まるこの曲は、純和風の幻想曲と言いましょうか、霞む日本庭園を雨滴が静かに打ち続けるように、心身を厳かな静の時間に浸らせてくれます。

とても前向きな歌詞ですけれど、そこには言いようのない悲しみが漂っているように感じます。

そして、その悲しさに抗うように、瞼の裏にほのかな熱を生み、ただただ純粋な想いだけを、大人になった心の中に思い出させてくれる。

だから、また……と心は熱く揺れ。

誰かを悲しくなるほど愛した人の記憶に触れるかのように、聴き心地はしっとりと憂いを帯びながらも、重さではない、想いの深さを窺い知ることが出来る一曲となっています。

長年連れ添った相手に、また恋をするのか。

過去に離れた誰かを思い出して、当時の恋心を懐かしむのか。

壮大で、哀愁を持った曲調とは裏腹に、タイトルの意味は、いずれにしろ、幸福な結末へと導いてくれるはずです。

いいちこの公式ユーチューブチャンネルでは、鳥が飛び立つバージョンの映像が素敵でした。今一度、この曲の良さに出会ってみてください。

ずっとあなたが好きでした

哀切が瞼を湿らすような感覚は、過去の恋の痛みが蘇ったためかもしれませんが、そんな記憶を叙情的に美化してくれる一曲です。

片思いの曲と解釈出来ますけれど、片思いにも色々あります。

楽しい片思いから、相手がいる人への辛い片想い。相手から片思いされていた、という逆パターンの片思い。

僕が今回改めて聴いたときには、傍に居た人を、言葉に出来なかった気持ちで想い続けるしかなかった。

そんな痛みを、また優しい歌声で癒しながら聴かせてくれる、気丈さや純真さに溢れた曲だなと感じました。

ずっと好きでした、という言葉は、とても難しい表現だと思います。

下手をすれば執着や臆病さといった、ネガティブな感情を伝える言葉になりかねません。

身も蓋もない話ですけれど、恋は想ってればいいってものでもないと、個人的には思うので。どんな形にしろ、内から吐き出すことは大切です。

なので、この曲はその難しいところを、想い人への偽りない真剣さで描き切った、恋の応援歌だとも言えるのです。

ずっとあなたが好きでした。

素敵ですね。

改めて、そう思わせてくれる魅力がつまった世界観を、ぜひ堪能してほしいと思います。

愛は祈りのようだね

穢れのない子供のように、真っ直ぐな想いを抱いた一曲です。

歌詞の内容からもそうでしたけれど、人と人が出会い、愛し合い、一つになりたいと願いながらも、どうしても超えられない互いの肉体の壁に、悔しげにぶつかっているような印象を受けたので、そう表現しました。

過ぎたるは猶、とは言いますけれど、ともすれば、愛し過ぎるあまりにもどかしくて、幸せ過ぎるほどに幸せな関係性なのだと言えます。

そう考えれば、サビの「愛し尽くせやしない」という諦念したようなフレーズは、どこか幸福な口元が呟きもらした、愛の告白のようにも聴こえます。

愛はどこまでも深く成り得、まだまだ相手を愛せるという無上の喜びを抱くことは、心理的価値の最上位のものだと言えるのではないでしょうか。

こうした歌詞も酔わされますけれど、御兄弟のハモリと、これまた不思議ですが、CМのカウボーイと牛たちの映像が完全にマッチしているのです。

それもテキサスの牛です。

その一頭が スローモーションで 首を振る瞬間、その目を見る瞬間、何故か不可思議できゅっとする切なさが込み上げるのです。

曲は日本人だからこそ分かるようなニュアンスが、ふんだんに込められていますが、外国の風景や発祥の文化は、それとはほど遠い存在です。

知らぬ土地で故郷の良さを知る、そうしたギャップと類似して、自然と郷愁を呼びこすきっかけになっているのかもしれません。

無関係に見えるもの同士を結び付けて、このような静謐とした不思議な感動を生んだのは、奇跡のようにも思います。

要求するのではなく、無償に与え続けたいとする、まさに祈りの歌です。

郷愁に浸れる愛の讃歌。

真実の愛の祈りに、どうぞ耳を傾けて頂きたいと思います。

これが恋というなら

大好きな曲です。

先に述べた曲らと同様、映像との共鳴感が、一番感動的に伝わってきた一曲です。

かの有名な「奇跡」を起こしたハドソン川を、競技用ボートが並走するという映像です。

恋を歌った曲とは、一見関連のない内容ですけれど、ボートを漕ぐ横顔と、ただ真っ直ぐ前を見つめ、仲間たちと息を合わせ続ける彼らの姿を見ると、遠くに行った恋人を想うかのような痛いほどの恋しさに、胸を締めつけられてしまうのです。

愛情と友情も元は同じ性質の愛だというのなら、彼らの同調性や仲間意識が、深い愛と重なるのも頷けます。

寡黙に、ただ上手くなることだけを、ただ強くなることだけを目指して前に進む。

そうした姿勢は、何より心惹かれ尊敬できるものです。

この曲の描いた恋は、必ずしも幸せなものではないかもしれませんが、それでも人を好きになる自分でいようと歌っている物語の結末は、決して不幸なものでもないはずです。

苦しみを感じ、温もりを感じ、愛の深さを知る過程で、流した涙の価値がどれほどのものかと理解する。

サビの印象の強さから、儚く、掠れた歌い方で、そうした感動や決意を歌いきった部分の、ハイクオリティーな表現は、聴き心地抜群です。

メロディーをなくして歌詞だけ見てとっても、勇敢な感情が芽生える、ある種の応援歌とも言える気がします。

辛い恋に負けそうになる時にこそ、ふんばる力を与えてくれる、頼もしい名曲です。

ぜひ、映像と一緒に聴き入ってほしいと思います。

さよなら涙

希望に満ちた曲です。

これまで紹介した曲の作詞を手掛けたのは、松井五郎さんですが、最高の表現者ですね。

中でも、この曲の歌詞は、あえて歌声にのせずに読むことで、より胸に染みる側面があると思います。

なんて筋の通った理屈と、根拠を持った深みのある表現を、ここまで見事にされるのだろうと、読んでいて気持ち良くさえなりました。

人生を乗り越えていくために重要なアイテム(言葉)が、全てつめられている、至れり尽くせりの防災グッズのような、寛容で、実直で、捉え方や表現の秀でた構成は、一つの小説のようでもあります。

むろん、そんなハイクオリティーな歌詞を、あのメロディーにのせて歌い上げる技術は、言うまでもなく素晴らしいわけです。

重ねて、CМ映像ともよく合っているのですが、今回に限っては、一つどうしても引っかかった部分がありました。

トライアスロンをしている外国選手の方々が、数名出演しているのですが、内二人、あのスローモーション映像にそぐわない笑顔で走っている選手がいるのです。

演出の方には失礼でしょうけれど、僕としては笑わないで走ってほしいと思いました。

そこだけです。どうぞ見てやってください。

あとは他のものと同様に、やっぱり深い切なさ、郷愁を呼び起こしますね。もう分析は必要ないでしょう。

こんな気持ちになりたかったら聴けばいいと。

それを約束できる名曲たちの紹介でした。

今後もCМを楽しみにしながら、ビリー・バンバンのますますのご活躍を願いたいと思いました。

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